2008年10月27日

恋愛の定義

恋愛の定義とは…
そもそも恋愛とは何か…


恋愛は日本語としては愛とは別に意味を持つ言葉ですが、
英語ではlove、フランス語ではamourと、広い意味で表現されます。


その恋愛を象徴するマークはハートマーク。
ほとんど世界的に共通です。


ローマ神話での愛の神はキューピッド。
キューピッドは背中に羽をつけて恋の矢を撃つ、ちょっと気まぐれな幼児です。
ほんの気まぐれ放った矢で恋に落ちるとされてます。


ちなみにビートルズの全楽曲の歌詞に出てくる言葉を頻度分析すると、
[ I ](自分) の次に多いのが [ love ]です。
世界的に愛される音楽なのも頷けます。


すこし雑学的になりましたが、本題に入ります。


恋愛は人間が他人に対して抱く感情で、その感情に基づいた行動や態度が伴います。


恋愛にはいろいろな形態があり、異性愛・同性愛・遠距離恋愛・婚外恋愛(不倫)・複数恋愛(ポリアモリー)・純愛・ロマンチックラブ・プラトニックラブなど実にさまざまです。


恋愛の定義も国語辞書によってさまざまです。


『三省堂国語辞典』(第6版)での「恋愛」は
「恋」と「愛」を総合した定義になっています。
まず「恋」を、
「男女の間で好きで、会いたい、いつまでもそばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)」としていて、
次に「愛」を、
「損得ぬきで 相手につくそうとする気持ち、男女の間で好きで、たいせつに思う気持ち」
と定義しています。
そして「恋愛」は「恋」と「愛」の両者を合同した形で、
「男女の間で恋をして、相手をたいせつに思う気持ち(を持つこと)」
としています。


個人的にはちょっと違うような気がします。
相手に尽くす気持ちがあって愛と決め付けるのはいかがなものでしょう。
尽くすかどうかは、個人の性格によって違うのですから。


『新明解国語辞典』は独特の記述をする辞典でして、
この辞典の第5版での「恋愛」は、
「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、できるなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと」
と表現しています。


この第5版では性愛の側面を重視していて、
また一方的な片思いでも恋愛は成り立つとしています。
片思いも立派な恋愛です。
この見解は大賛成です。


ただ次の第6版になると、
「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。」
と改訂されていて、性愛についての記述は削除されています。


必ずしも肉体的なことを望むとは限らないとされ、
第6版の方が解釈の精度は高くなったと思います。


ただ、連れ子が居たり、親が居たりした場合は、二人だけで居たいという定義はあてはまりません。
また、他の全てを犠牲できるのが恋愛と限定してしまうのはどんなもんだろう。


あと気になることは、このほかの『新潮現代国語辞典』などの辞典も含め、異性愛を前提としており、男女間の関係や感情を恋愛と定義づけていて、同性愛も恋愛と定義づけた辞典は無いようです。


これもいずれは変わってゆくんでしょうが、異性・同性にこだわる必要はそろそろ無いと思います。


『星野 純(はじめ)恋愛大辞典』では「恋愛」は
男女の別は問わず、二人だけかどうかも限らず、他の全てを犠牲にできるかどうか、相手につくそうとする性格かなど、性別・環境・条件・性格は問いません。


『星野 純(はじめ)恋愛大辞典』での
「恋愛」の定義はズバリ、
「相手を想い、愛おしい気持ちが抑えきれないほど溢れること」
とします。



参考資料 :三省堂国語辞典
     :新明解国語辞典
     :新潮現代国語辞典
     :Wikipedia


タグ:恋愛
posted by 星野 純(はじめ) at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛大辞典 by星野 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
トップへ